女性が気を失った姿に惹かれて

今は、「うつぶせ寝姿」と言っていますけど、最初はそうじゃなかったんですよ。

最初は、幼稚園か小学校の低学年の頃からですけど、マンガやテレビの中で女性が気を失って倒れている姿に、何とも言えない興奮を覚えたのですよ。昭和の時代、マンガでもアニメでも、大人が見るドラマでも、女性はか弱いものとして描かれていて、女性が気を失う場面は多く出てきました。

これは、昭和の時代のアニメで、女性たちが倒れている姿です。

昭和のアニメで気を失って倒れている女性たち

こうした場面は、しだいに戦う強いヒロインが登場するようになって、少なくなっていきました。それでも、まったくなくなったわけではないんですね。平成に入ってからも、たとえば「セーラームーン」のシリーズでは頻繁に出てきたりしましたね。敵が放つ怪物にエナジーを吸い取られて、倒れている女性たちとか、強敵にやられて倒れているセーラー戦士たちとか。

そしてまた、日本のアニメでは女性が倒れているとき、うつぶせの場面が多いんですね。外国だと、女性が気を失って倒れているときは、仰向けが多いらしいのですが、日本ではなぜか、うつぶせが多いですね。日本のアニメの作り手に、お尻が好きな人が多かったのかどうかは分かりませんが。

一方、実写の作品では、女性が倒れている場面でアニメのようなうつぶせ(まったくの腹ばい)というのは少ないですね。ヒーローもので、ヒーローが女性の悲鳴を聞いて駆けつけると、女性が倒れていたといった場面では、最初からうつぶせというのもありますが、怪物を見た女性が気を失って倒れるとかいった場面では、そのままうつぶせに倒れると、女優さんが顔や胸を地面や床で打ってしまいますから、膝を曲げて腰を横にして倒れるとか、最初から横向きに倒れるというのが多いのです。

実写作品で気を失って倒れている女性たち

女性が気を失っている状態というのは、男から見ると、女性を思い通りにできる状態なんですね。男には、異性に対する独占欲とか支配欲があって、それはまだ思春期に目覚める前の子供のときでもちゃんと感じていたのでしょう。私も幼稚園や小学校低学年という歳だったですが、アニメでも実写のヒーローものでも、女性が怪物を見たりして気を失う場面には、妙にどきどきするものを感じていましたね。

そして、日本のアニメでは女性が気を失うときには、うつぶせに倒れるというのがとても多かったので、どうも私は、そこからうつぶせに横たわる女性の姿に性的興奮を感じるようになっていったようですね。

思春期になって、女の子に恋心を抱くようになると、もちろん衣服に対するフェチもありますから、着ている服が気になるというのもありました。それと同時に、その女の子がアニメやドラマの場面のように、気を失って倒れている姿も空想していたんですよ。下着姿や裸を空想するより、そういう方向に空想が向かっていったのでした。アイドルや女優のファンになっても、同じような空想をしていましたね。いや、これは過去形で言うことではないですね。今でも、女性タレントや女優、雑誌や通販カタログ・通販サイトの女性モデルに対して、私が空想する内容は変わっていないのですから。


フェチはWikipediaによると、「身体の一部や衣服・その他記号化された様々な物品・現象に『個性的』な執着を見せたり、性的興奮を示す傾向を指す俗語の一種。」ですが、女性がか弱い存在とされて描かれていた時代、気を失っている女性というのも、「記号化された現象」の一つと言えるのでしょう。なので、気を失って倒れている女性に性的興奮を感じるのも、フェチの一種となるんですね。

それにしても、私はずいぶん早い時期からそうしたフェチだったんですね。だけど、それがフェチだと分かったのは、インターネットが普及していろんな情報を得てからで、30代も終わり近い頃でした。それまでは、映画でもアニメでも一般のドラマでも、女性が気を失う場面が出てきて興奮を感じても、どうしてそうなのか分かりませんでしたね。そして、こうしたことを、表情や言動にはあまり出さないようにしたほうがよいと、何となく感じていたので、人に気取られないようにはしていましたね。


私は、女性が気を失って倒れている場面に、強い刺激を受けたのですが、男がみんな同じところに刺激されるわけではないようですね。インターネットが広まってからですが、いろいろ探すと、気を失った女性を両腕に抱きかかえて運ぶ場面が好きだという人が多いことが分かりました。

外国のサイトですが、こちらの、
IN MY ARMS
というサイトは、映画、そのポスター、テレビドラマ、コミックなどで、気を失った女性が、ときにはヒーロー、ときにはモンスターの両腕に抱きかかえられている場面の画像を集めています。ここでいうモンスターとは、日本の怪獣映画に出てくる巨大な怪獣ではなくて、ミイラ男や半漁人、オオカミ男といった、人間大のモンスターのことなんですよ。そうしたモンスターが出てくる映画の多くは白黒で、つまり古い時代の作品ですが、まさに女性はか弱き存在で、怪物を見ただけで気を失うような描かれ方をしていたころのものなのです。

女性を両腕に抱きかかえるというのは、日本ではいつの頃からなのでしょう、「お姫さま抱っこ」と呼ばれるようになり、結婚式でも新郎が新婦をお姫さま抱っこするというのをやったりしているというのです。でも、「お姫さま抱っこ」は日本だけの呼び方で、これを直訳したような呼び方は外国にはないようですね。

呼び方はともかく、男にとっては女性を腕に抱きかかえるというのは、その女性を独占して支配している状態なわけで、映画でもコミックでもこうした場面に興奮を感じる男は多いのでしょうね。そしてこれもまた「記号化された現象」として、フェチの一つになるんですね。


それから、こんなことを聞いたことがありました。昔は、
「気絶するのも女のたしなみ」
と言われていたという話。

昔っていったい、いつの時代かと思って、「気絶」、「失神」、「女のたしなみ」などをキーワードにして検索すると、あまり多くの結果は出ませんでしたが、ひとつ出てきたのは、英国のヴィクトリア朝の時代(19世紀)に言われていたことらしいというものです。ネット上の情報には、これぐらいしかなかったですが、女性がか弱いものとされていた時代には、他の国や地域でも同じようなことが言われていたかもしれませんね。

「気絶するのも女のたしなみ」というのは、いったい、どういう意味があったのでしょうね。私としてはこんなことではないかと想像しています。

女が気絶することは、つまりは男に介抱させるように仕向けること。そして、気絶しているというのは、ある意味、おとぎ話の中の眠れる姫になることで、すると、介抱する男は、姫を目覚めさせる王子ということになります。あるいは、男から見ると、ヒーローと、ヒーローがピンチを救うヒロインということにもなります。

気絶することは、眠れる姫と王子、ヒーローとピンチのヒロインという図式の中に男を誘い込むこと。そうやって、男に王子やヒーローの役割をさせて興奮を感じさせることで、いい男をゲットするための手段ではなかったのかと思えるのです。


こんな話を聞くと、女性が気を失うのはずいぶん、のどかなことに思えてきますね。私も子供のころから思春期にかけては、女性が気を失うのをマンガやアニメ、実写のヒーローものに出てくる場面のイメージで捉えていました。あとから思えば、それもまた、のどかなイメージだったのですね。リアルな失神のことを聞くにつれ、崩れていくまでは。

リアル失神って、やばいの?

女性が気を失っている姿に興奮を感じるといっても、そういう話を人としたことはほとんどありませんでしたね。なんか、そういう話はしづらいというのもありました。インターネットが普及して、そうした欲求もフェチの一つと分かってからは、ネット上をいろいろと探すようになりました

ところが、ネット上で「失神フェチ」とされるカテゴリーは、それまで自分が持っていた失神(気絶、気を失う)のイメージと違うんですね。私が好んでいたのは、アニメや実写ものの映画、ドラマの中で女性が気を失って倒れている姿です。ところが、ネット上にある情報は多くがリアル失神、すなわち、実際に人が(女性が)失神する場合のものだったのですよ。

そのリアル失神というのは、

  • セックスでの失神
  • 女子プロレスでノックアウトされての失神
  • 女子柔道で締め落とされての失神
  • クロロホルムを嗅がせての失神(これは映画やドラマでも出てきますが)
といった場面での失神の話が大部分、そして失神した状態というと、
  • 白目を剥いている
  • よだれを垂らしていたり、泡を吹いたりしている
  • 失禁している
  • 髪はボサボサになっている
なんてことなんですよね。

女性のこうした姿に興奮するという人がけっこう多いみたいなんですよ。自分が興奮を感じていた、アニメ、映画、ドラマなどの中の失神場面のことは、あまり出てきません。前にも書いた、外国のサイトで気を失った女性がモンスターやヒーローに抱きかかえられている画像を集めたサイトのようなものも中にはありましたが、自分の好みに近いものは、ホント見つからないんですね。

そして、もう一つ、ショックだったのは、失神フェチがかなりやばい嗜好だと思われていること。それも、フェチのカテゴリーの中で、なんと、屍体フェチ(necrophilia)の隣あたりに位置づけられているということでした。

屍体性愛というのは聞いたことがあります。大学のとき、教養課程の選択科目で心理学を選んだのですが、何かテーマを選んでレポートを書けと言われました。テーマ探しで図書館でいろんな本を読んでいるうちに、犯罪心理の本でしたけど、屍体性愛がある猟奇殺人犯の話がありました。アメリカかヨーロッパでの話だったと思いますが、何人もの女性を殺害し、死体と性行為をしたという殺人犯の話。何とも、気味の悪い話だと思いましたね。もっと後でも、居酒屋か床屋に置いてあった青年向けコミック誌で、屍体性愛の犯人が出てくる話を読んだことがあります。そちらも、気色悪いものだと思いましたね。

女性が気を失っている姿が好きだと、そんなやばい領域の人間のように思われるわけで、最初は、
「一体何なんだよ!それ!」
とか、
「オレ、そんなこと全然考えてないよ!まったく、ふざけやがって!」
と怒り心頭になっていました。


屍体フェチに近いというのは置いといても、リアル失神−実際に人が失神するというのは、大人になっていろんなことを見聞きしていくうちに、かなりやばいものだというのが分かってきましたね。

事故や災害でケガをして意識をなくしている人を動かすと危険だということも、かなり若い頃から聞いていた話です。映画やドラマのように、「おい!しっかりしろ!」と揺すったら、それがとどめの一撃になりかねない危険があるんですね。

会社の防災訓練で消防署の人が来て、こんな話をしていました。ケガをして血や他の体液を流している人に素手で触れてはいけないという話です。その人がどんな感染症にかかっているか分からないから、素手で体液に触れると自分も感染してしまうので、レスキューの隊員はビニールの手袋をはじめ素肌を守るよう完全防護して救助に当たるということなんですね。

いずれにしても、素人が映画やドラマの登場人物気分で救助に手を出すのは、大変危険なことだというんですね。


リアル失神のやばさというのは、意外や家庭文学の有名な作品でも書かれているのですよ。「赤毛のアン」です。私が「赤毛のアン」の小説(日本語訳ですが)を読んだのは、10代の終わり頃でした。それまでは、不幸が次々襲い、みんなからいじめられるかわいそうな少女の話で、読むのが嫌になるようなものなのだろうという先入観を持っていました。そんな少女の話は、他にもあったりしますから。ところが、その頃、テレビでアニメ版が放映されたんですね。「アルプスの少女ハイジ」や「フランダースの犬」と同じ、日曜夜の7時半からやっていたシリーズでした。見たのは中盤ぐらいからですが、決してかわいそうな少女の話でもないし、おもしろかったので見るようになり、原作版も買って読んだんですね。

これは、再放送で見たんですが、主人公のアンが親友のダイアナと森の中の遊び場で、気絶ごっこをやるエピソードがありました。原作版ではどうも読んだ覚えがないんですね。若い頃のことだから、忘れているのかもしれないですが、実際、原作にはないアニメオリジナルのエピソードだったのかもしれません。気絶とか失神とかいった言葉を読んだら、そういうものに興奮を感じていた自分はおそらく記憶しているでしょうから。

それがどんな場面かというと、アンがダイアナに、
「ねえ、気絶ってしたことある?」
と聞いて、気絶のまねごとをしようとするのです。アンは仰向けに倒れようとするけど、頭を打たないようにまず、尻もちをつきますが、
「痛ーい!気絶って痛いのね!」
ダイアナのほうは、
「うっ、うーん。」
と物語の中で女性が失神するときによく出てくるセリフを言って、まず膝を折ってしゃがみながら、身体を横向けに倒れるという、実写作品によく出てくる倒れ方をするんですね。
アンは、
「アハハ、そんなのダメよ!」
と言って、自分は仰向けに寝っ転がり、2人でしばらくの間、気絶した女性をやっていました。

これだけの場面ですが、実際に気絶(失神)して倒れると痛いというのが、ちゃんと描かれているのですね。

アニメオリジナルのエピソードだとして、この元になったのではないかと思われる話が原作版のほうにあるんですね。そちらのほうもアニメ版に登場するようですが、残念ながら見ていません。

アンが子供たちとの遊びの中で、木へ登らざるを得なくなるんですが、案の定、落ちて足に大けがをしてしまいます。大人に担がれて家に連れて行かれるのですが、養母マリラに声をかけられたらホッとして気絶してしまうんですね。そして、療養中のアンのセリフにこんなのがありました。
「気絶って気持ちのいいものじゃないのね。」
ということは、アンは気絶は気持ちのいい眠りに落ちるようなものだと思っていた、ということみたいですね。

これは、単に赤毛のアンだけではなく、その時代の少女たち共通の感覚ではなかったかと思うんですよ。「赤毛のアン」が発表されたのは20世紀の初め頃。物語の時代設定は19世紀の後半。「気絶するのも女のたしなみ」だった時代ですね。その頃の少女たちは、気絶(失神)をどんなものだと考えていたんでしょうね。おそらくは、物語の中の眠れるお姫さまのようになることだと思っていたのではないかと思うのです。そして、眠れるお姫さまは王子さまが目覚めさせてくれるのが、おとぎ話の定番。それは、あこがれの世界だから、気絶=眠れる姫になることは、きっと気持ちのいいことに違いないと。

「赤毛のアン」には、他にも、アンが眠ったまま小舟に乗って川を流されていくお姫さまの、ごっこ遊びをやるエピソードがありました。やっぱり、眠れる姫になりたいという願望は、その時代の少女には強くあったのではないかと思えますね。

いや、お姫さまと王子さまのおとぎ話は、今も子供向けの作品としてずっと残り、絵本にもアニメにもなっていますから、今でも眠れる姫になるごとく気絶するのを夢想する女の子はいるのではないかと思います。そして、成長するにつれて、それはおとぎ話の中だけのもので、リアルな失神は決しておとぎ話的でないと気付いていくのでしょう。

これは、男にとっても同じで、モンスター映画で気を失って、モンスターの腕に抱きかかえられてさらわれていくヒロインも、ヒーローもので、ヒーローの両腕に抱きかかえられる気を失ったヒロインも、リアルな失神のように白目を剥いているわけではなく、よだれを垂らしているわけでも、失禁しているわけでもなく、髪はきちんと梳かしたようにサラサラのままなんですね。こういうのも一種のおとぎ話と言えるのでしょうね。子供のときから思春期にかけては、そうした場面に興奮を感じ、楽しそうに思えていたから、きっと、気を失った女性も気持ちいい状態だろうと錯覚してもおかしくないですね。でも、大人になるにつれて、そうでないことに徐々に気付いていくのだと思います。


私もリアルな失神を目撃したことがありますよ。女性ではなく、男が失神して倒れた場面ですけど。中学のとき、校庭での朝礼で貧血で倒れた男がいました。立った状態から、両腕はだらりと下げたまま(映画やドラマのように、腕を頭の両側にもってきたようにはならないまま)、まっすぐ前に倒れ、顔から地面に突っ込むのを、斜め後ろぐらいから見たのです。

その男が倒れたとき、「バシッー!」というか、「ズシッー!」というか、すごい大きい音がしました。中学生なら何十キロかの体重があるわけで、その重さの人体が地面に叩き付けられるわけで、思わず、縮み上がってしまうぐらい大きな音だったから、ずっと記憶に残っていますね。倒れた男は、別のクラスで、たしか1年生の初め頃だから、誰だったかも分からなかったです。保健室へは運ばれたでしょうけど、鼻骨を折ったりしたかどうかとか、病院へ運ばれたかどうかとかも覚えていないですね。

アニメはもちろんのこと、実写ものの映画、ドラマでも、劇中で聞こえる音はほとんどが人工的に作られた効果音なんですね。人が倒れるときの「バタッ」という効果音も、たいして大きな音ではないですよね。だけど、実際に人が倒れたときの音は、恐怖を感じさせるぐらいのものでした。


アニメだと、いきなりうつぶせに倒れる場面があったりしますが、実写ものだと俳優がケガをしたりしないよう、いろいろ工夫しているということも、子供のときは分からなくても、しだいに分かってくるのですよ。実写作品で、女性が気を失って倒れる場面では、アニメと違って、膝を折ってしゃがみながら、腰を横にするかたちで横たわっていくのが多いですが、それももそうしたものの一つですね。倒れていくときと、床や地面に”着地”するときを分けて撮影して、編集でつなげるというのもありますね。

2006年の大河ドラマ「功名が辻」で、仲間由紀恵さん演じるヒロイン千代が、気を失って倒れる場面がありました。最後のほうの回ですが、関ヶ原の戦いで徳川方に付いた千代の夫・山内一豊(上川隆也)は土佐の領主になります。ところが土佐の国は、負けた石田三成方に付いていた長宗我部氏が支配していた国。領民にも反発するものが多く、夫婦で視察中に火縄銃で狙撃されるんですね。銃声が鳴って次の瞬間、千代が倒れてしまうという場面がでてきました。弾が命中したのではなく、着物の袖を貫通しただけだったのですが、それでも貫通の一瞬、強烈な力で引っ張られ、締め付けられるのですから、気を失ってしまったわけです。

その場面での、仲間由紀恵さんの倒れ方ですが、立った状態から両腕は身体の脇に垂れたまま、まっすぐ前に倒れていったのですね。私が中学のとき目撃した、貧血で倒れたよそのクラスの男と同じ倒れ方です。そのままだと、仲間由紀恵さんは顔面を地面に激突させてしまいます。

ところが、途中まで倒れたところで、カメラのアングルが切り替わり、仲間由紀恵さんは顔を横に向け、両腕は頭の両側にもってきている、つまり映画、ドラマ、マンガやアニメなどで人が倒れているときの、お決まりの姿勢で地面にバタリと”着地”するのです。

細かいところで脈絡がないようですが、これも、倒れる場面でケガをしたりしないための工夫ですね。映画やテレビドラマの世界で仕事をしている人でなくても、長く生きてきて、いろんなことを見聞きしていれば、どういうふうに撮影しているかはだいたい想像がつきます。まっすぐ前に倒れるところでは、セーフティマットを敷いて、そこに倒れるんですね。もちろん、セーフティマットは映り込まないようにカメラのアングルを調整して。そして、”着地”の場面は、倒れた状態からスタッフが身体を支えて、あまり地面に強くぶつからない程度の高さから、手を離してバタリと地面に倒れる場面だけ映すのです。そして、その2つを編集でつなげると。

ホントに女優さん、特に売れっ子の美人女優さんが顔にケガでもしたら大ごとですから、気を失って倒れる場面の撮影は細心の注意を払うのでしょう。

リアルな失神で、倒れたときに、固いものに頭をぶつけたりすると、命に関わります。場所によっては高さのあるところから転落することにもなるから、これも危ないですね。男性よりも女性のほうが、貧血や身体の不調で失神することが多いらしいですが、駅のホームで失神して線路に転落し、電車に轢かれて死んでしまったという話を新聞で読んだことがあります。実際に失神だったと確認されたのではないようですが、警察が調べても自殺の動機が見当たらないことから、失神して転落としたのではないかと思われるということでした。


こうやって、リアルな失神のやばさをいろいろ聞いていると、自分が子供の頃から、特にアニメで気を失って倒れている女性に興奮していたことを、失神フェチと呼ぶ気がしなくなってきました。

白目を剥いたり、よだれを垂らしたり、失禁しているリアルな失神に興奮を感じる人は、ネットで見ても、確かに少なからずいるようです。そういう人は、どこかに原体験があって、興奮を感じるようになったのでしょう。でも、私はそうじゃないですね。アニメ、あるいは実写でもヒーローもののような、一種のおとぎ話的な世界での、なんて言いますか、理想化された失神姿から入っているのですから。

寝顔フェチのほうが、むしろ近い

リアルな失神は自分が理想とするものとかけ離れていて、関心が薄れていったのですが、一方、インターネットでいろんなフェチを見ていって、
「おぉ!こういうのオレ、好きかも..」
というのを、実は見つけたんですよ。

それは、寝顔フェチ。

実際に人が眠っているときは、大口を開けて、よだれを垂らして寝ているというのもありますが、寝顔フェチの対象となっているのは、ほとんどが、可愛い寝顔なんですね。

そして、寝顔フェチの画像もネット上にはいろいろありますが、寝顔だからといって、顔アップばかりというのではなく、身体も入っているほうが多いのでした。それを見て思ったんですが、昭和時代のアニメや実写のヒーローもので女性が気を失って倒れているイメージは、寝顔フェチの画像に近いんですね。

可愛い寝顔の女性は、リアルな失神のように白目を剥いているわけでも、よだれを垂らしたり、泡を吹いているわけでもないし、失禁しているわけでもなく、安らかに眠っている姿なんですよ。

考えてみると、おとぎ話の中には王子さまが目覚めさせてくれるのを待つ、眠れる姫が出てくるんですね。白雪姫は毒のリンゴを食べて死んだというストーリーですが、死体が腐敗して白骨化したりするわけでなく、王子さまのキスで復活するわけですから、つまりは一種の眠りなんですね。

一種のおとぎ話である、モンスター映画やヒーローもので、気を失ってお姫さま抱っこされているヒロインたちも、リアルな失神をしているわけでなく、美しい姿のままですから、これも寝顔フェチでの可愛い寝顔の女性に近いんですね。

そしてまた、寝顔というのは、眠っている、すなわち女性が無防備で、男から見ると思い通りにできる状態のときの顔。性的興奮を感じても、決しておかしくはありませんよね。なので、気を失った姿に惹かれるのも、寝顔に惹かれるのも、根底は同じだと思うのですよ。そして、気を失った女性の中でも、アニメや実写ヒーローものに出てくるヒロインのような、リアルでない失神姿に惹かれるのは、可愛い寝顔の女性に惹かれるのと非常に近いと思えてくるんですね。

作られたイメージなら、自分でも作ればいい

昭和時代のアニメやヒーロードラマの気を失った女性の姿は、リアルな失神ではなく、安らかに眠っているような、ある種、理想化されたイメージだというのが分かってきました。それは、寝顔フェチでの可愛い寝顔に近いものでした。

そして、もう一つ、興奮を感じるものを発見したのです。それが、次の画像。

涼感寝具の広告の女性たち
これは何かというと、夏場に空気の通りをよくしたりして、涼しさを感じさせる寝具−涼感寝具の広告に登場するモデルさんたちです。

こうした広告では、うつぶせに横たわり、心地よさそうに眠っている女性の写真が多いですね。うつぶせというところで、私が子供の頃から見てきたアニメで気を失ってうつぶせに倒れている女性たちを連想させますね。こういうのを見ていると、やっぱり興奮を感じます。

でも、こうした広告のモデルさんたちは本当に眠っているわけではないですよね。気持ちのよい寝具の広告だから、それを宣伝するために、気持ちよさそうな顔をして寝ているかのように目を閉じているだけです。中には、疲れがたまっていたりとか、本当に心地よかったとかで、撮影中に眠ってしまう人もいるかもしれませんが、いたとしてもあくまでも例外。そして、広告の写真だから、撮影現場にはメーク担当の人もいて、髪がバサッと投げ出されたりした状態などにならないよう、きちんと整えているのでしょう。つまりは、これも気持ちよさそうに眠っているという、理想のイメージを作っているわけですね。

こういう広告を見ているうちに、最初は昭和のアニメで女性が気を失って、うつぶせに倒れている姿に惹かれることから始まった、私のもう一つのフェチ(一番目は、女性の服、特にスカートが好きになったことで、こちらが2番目なんですが)を、

うつぶせ寝姿フェチ

と呼べばいいと思うようになったんですね。

たしかに気を失った姿が始まりとはいえ、リアルな失神ではないから、自分の好むものは、別ものだと言いたいこともあります。寝顔フェチに近いから「寝」の字を入れたいというのもまたありました。

そんな、名前を付けただけで、新しいフェチができてしまってもいいのかと言われそうですが、昔、飲み屋かどこかにあったスポーツ紙か夕刊紙に書いてあったように、
「男の数だけフェチがある」
のだと私も思っていますから、自分で名前を付けて、これが自分のフェチだと言えばいいと思っているんですよ。


私が女性の服を買って着るようになったのは、大学進学で親元を離れてからで、学生のときはテニスウェアを買って着ていました。社会人になってから、ふつうの婦人服を買うようになりました。(私の女装遍歴を見てくださいね。)

どちらも着るだけ女装ですが、女性の服を着て何をしていたかというと、最初にやったのは、うつぶせに寝そべってみることでした。つまり、気を失ってうつぶせに倒れている女性のマネをしていたんですね。

その頃は、写真を撮ってみたいとは思いませんでしたね。メークもしていませんでしたし、単に女性の服を着て、横たわったときの感覚や感触を楽しんでいただけだったんですね。

30代後半に女装サロンへ行くようになったとき、メークもしてウィッグを被る本格女装をするわけですから、うつぶせに倒れている姿の写真を、カメラ係の人に頼めば写してもらえるかなというのが頭に浮かびました。でも、言い出せなかったですね。当時は、土曜日にしか行けず、いつも賑わっていたので、他の人になさそうなユニークな嗜好のことを、ゆっくり話す時間が取れそうではなかったんですね。それに加えて、どういうふうに話せば、自分が持っているイメージが伝わるかが分からなかったからです。


そして、その後、いろいろあって長いブランクのあと、2013年に本格女装を再開したときは、うつぶせ寝姿を写したいという欲求が、それまでにないぐらい強くなっていました。昭和のアニメに出てきた、気を失ってうつぶせに倒れている女性の姿は、決してリアルな失神姿ではなく、理想化された、作られたイメージなんですね。じゃあ、そういうイメージを自分でも作ってしまえばいいと思えるようになっていたのですね。


そうして、女装再開と同時に自分の部屋で、うつぶせ寝姿を写すことをやり始めました。

だけど、思ったより難しいんですよ。

そんなに広い部屋に住んでいるわけでもないし、部屋にはいろいろものがあるわけですから、寝そべって、しかも腕を頭の前まで伸ばすだけのスペースを確保するのに、まず苦労するんですね。そして、写そうとすると、自分一人でやるのだから、当然、セルフタイマーで。寝そべって、スカートがお尻から太ももにかけてをきれいに覆うように整えないといけませんし、それに加え、ロングヘアのウィッグが顔の両側に垂れたりせず、きれいに背中に乗るようにもしなければいけません。アニメの中の倒れている、ロングヘアの女性たちは、だいたいみんな、髪がきれいに背中を覆っていますから。

これをセルフタイマーの10秒程度の間にやるのは、なかなかきついことです。私が好きなフレアースカートは、広がりやすい分、寝そべったときにきれいに整えにくいんですね。ロングヘアに憧れて、最初に買ったのは前髪ぱっつんロングだったんですけど、うつぶせに寝そべろうとすると、やはり顔の両側に垂れてきます。これを大急ぎで掴んで、背中に乗せる、というか背中のほうに放らないといけないんですね。

カメラのほうは、一応、デジタル一眼レフを持っていて、ワイヤレスリモコンも使える機種でした。セルフタイマーだと写しにくかったので、ワイヤレスリモコンをネットで探して買いました。ワイヤレスリモコンで、10秒タイマーはできないけど、2秒タイマーができるので、寝そべったまま、スカートや髪をそれなりに整えて、何度も写しなおすことができるようにはなりました。これがないと、寝そべったり起き上がったりを繰り返すことになりますが、思ったより疲れるんですよ。そのたびに、自分の体重を支えたり、持ち上げたりをするわけですから。

一方、髪はカチューシャを買ってきて、脇の髪が顔の両側に垂れにくくするのも試してみました。だけど、なかなかうまく行きません。


そういうことを繰り返しているうちに、やっぱり、うつぶせ寝姿はセルフ撮影より、人に写してもらうほうがいいと思えるようになりました。でも、誰に写してもらいましょうか。

頭に浮かんだのは、もう15年間、行っていなかった女装サロン・エリザベス会館でした。店のサイトを見ると、写真撮影の料金などのことが載っていました。1990年代後半とそれほど大きくは変わっていない感じでしたね。

あとは、昭和のアニメの気を失って倒れている女性ふうに、うつぶせ寝姿を写して欲しいと頼んで、やってもらえるかどうかです。変な写真は断られる可能性もありますね。だけど、これはもう、とにかく一度、行ってみて、ダメ元で頼んでみようと決心しました。ダメならダメで、また、自分でうまく写す方法を考えればいいわけですから。

だけど、自分が思うイメージが、できるだけ伝わるように考えました。実は私、昭和のアニメや実写のヒーローもので、女性が気を失って倒れている場面の画像をコレクションしています。VHSビデオの時代には、パソコンのビデオキャプチャカードを買ってビデオとつなげ、録画した番組やレンタルビデオから、ビデオキャプチャ(静止画のキャプチャですが)をしていました。高画素のデジカメ、高精細で大型の液晶テレビの時代になってからは、テレビ画面をデジカメで直接撮影するようになりました。パソコンに保存してある、そうした画像から、こんな感じがいいというのを何枚かプリントアウトしました。

そして、撮影は有料なので、枚数も限られますから、こんな感じに写して欲しいという構図を、下手くそなイラストですが紙に書き、倒れている女性の画像をプリントアウトしたのと一緒に持って行きました。

週末の混んでいるときだと、こうした変わった写真を撮って欲しいという話を、ゆっくりとできないのではないかと思い、平日に休みが取れた日に行ってみたんですね。

エリザベス会館の場所は亀戸から3駅先の浅草橋に移転していましたが、かつてと同じように女性の服に着替え、メークしてもらいました。そして、サロンとスタジオのあるフロアへ行きます。15年前にいた、カメラ係の女性はもういませんでした。でも、新しいフロア係兼撮影係の女性に、持ってきたものを見せて、こんな感じの写真を写してもらえるかどうか聞いてみました。

すると、
「いいですよ。」
とあっさりとOK。

すぐにスタジオに入り、撮影開始。背景や照明を整えたスタジオで、自分が写したかった姿を、デジタル一眼レフカメラで、しっかりと写してもらえました。

エリザベス会館に感謝!


最初に写してもらった、うつぶせ寝姿の画像です。

昭和時代のアニメふう、うつぶせに倒れている姿
アニメ的なうつぶせ寝姿

実写作品によくある、腰を横にして倒れている姿
実写作品的な寝姿

そして、お尻のアップ
ヒップのアップ
私、脚も好きですけど、お尻に対するフェチもかなりあります。男性向けのメディアで女性の胸の大きさばかりが取り上げられているのを見て、どうして胸ばかりなんだろうと違和感を感じるぐらいです。
でも、本屋へ行って、アダルト本コーナーにお尻フェチとかヒップフェチとか書いてある本を見つけても、表紙、裏表紙に載っている写真などは、やたら短いスカートから見える下着のお尻や、裸のお尻ばかり。それだけで、買う気も失せてしまうんですね。

私の場合、女性の服、特にスカートへのフェチが強いから、お尻のふくらみもスカートが覆っていないと面白くないんですね。だから、こういうのが自分で一番見たかった、お尻アップの写真なのです。そして、自分の女装では、お尻のふくらみを出すために、パッド一体型ショーツをはいているんですね。


女装サロンも商売ですから写真撮影も有料ですが、私が好むような、女装してうつぶせ寝姿のフェチ写真も写してもらえることが分かったので、再び通うようになりました。そして、自宅で女装してセルフで写すときは、家具などが入らずに写せる場所も限られるので、女性誌、通販カタログや通販サイトのモデルさんのポーズを真似して、立ち姿、腰掛けに座った姿が中心になっていきました。

女性をモデルにしたいと思わないの?

いろいろ書いてきましたけど、こんな質問が出てきそうですね。
「あなたのうつぶせ寝姿フェチのことは分かったけど、どうして自分で女装して写真を撮らないといけないの?本物の女性にモデルになってもらって、写したいとは思わないの?」
とか、
「別に女性を本当に失神させたりせずに、単にごっこ遊びで、ヒーローが気を失った女性を、『おい、しっかりしろ!』と介抱する場面とか、お姫さま抱っこして運ぶ場面とかをやってみたいっていう欲求なんかないの?」
とか思う人もいるんじゃないかと思います。

そんな欲求があるか、ないか聞かれたら、
「はい、あります。」
という答えに、やっぱりなりますね。

じゃあ、どうしてやらないのかというと、ホント、どうしてでしょうね?

やっぱり、女性の衣服へのフェチな欲求が強いから、女性の服に身を包んで、横たわっているときに感覚とか感触を味わいたいとか、その自分の姿を見てみたいとか、そういう欲求のほうがずっと強いんだと思うのですよ。これは、単に欲求の強さという程度の問題なんでしょうけど。


女装して、フェチの対象となる姿をやってみるというと、ある人のことが頭に浮かぶんですね。もう名前(女装名)も覚えていないんですが、1990年代の後半、ちょうどインターネットが広がり始めて4、5年ぐらいの頃ですが、個人サイトで女装姿画像を公開していた人がいました。私がそのサイトを見たのは、2回か3回ぐらいだったです。スタジオで撮影した写真でしたから、それもエリザベス会館か、あるいは他の女装サロンだったのかもしれません。

その中に、
「えっ!こんな姿で写してるの!」
と思った画像がありました。

それは緊縛姿写真。

つまり、縄で縛られている姿です。確かに、フェチの中に緊縛があるというのは、その頃も、何となく知っていたんですが、女装して緊縛姿を写すというのが、その頃は理解できず、
「この人、いったいどういう趣味してるの?気色悪ーい。」
と思ったんですね。

それを言うなら、私の、気を失って倒れている女性ふうのうつぶせ寝姿も、人から見ると、
「この人、いったいどういう趣味してるの?気色悪ーい。」
となってしまうんでしょうけどね。


でも、10年以上時間が経った今は、こんなことを思うんですよ。その女装して緊縛姿写真を写していた人と私は似ているのかもしれないと。

当時、インターネット上でやりとりしようとすれば、メールか掲示板でしたが、別に、私はその人とやりとりしたわけではありません。だから、これは私のまったく勝手な想像ですよ。

こう前置きした上で、どこが似ていると思うのかというと、一つは、女装が好きなのだから、やはり、女性の服へのフェチな欲求が強いのではないかということ。

そして、もう一つは、その人が女装して緊縛姿を写したのも、私が女装して気を失っている女性ふうの寝姿を写すのも、子供の頃に見たヒーローものに原体験があるのではないかということです。ヒーローものといっても、女性がか弱き存在として描かれていた、昭和の時代の作品ですが。

ヒーローものには悪の組織がいろいろ出てきますよね。「仮面ライダー」でいえばショッカーとか。そして、悪の組織がよくやることといえば、ヒロインを人質にしようとさらっていくこと。それとか、科学者の博士を協力させようと、博士の娘をさらっていくこととか。

そういうときは、戦闘員がヒロインに当て身を食らわせるとか、催眠ガスを浴びせるとかで、気を失わせてさらって行く展開もありますし、怪人が迫ってきて、恐怖で気を失ってしまったヒロインが、そのままさらわれていくというのもありますね。そして、気を失うときは、多くがその場に倒れてしまうわけで、私が好きな、気を失って倒れている姿が登場するのです。

さらわれたヒロインはどうなるかというと、牢屋のような場所に監禁されることもありますが、逃げないように縛られている場面が多く登場します。縛られているというのは、つまり緊縛ですよね。SMのハードな緊縛に比べれば、ずっとソフトなものですけど。

こうしてみると、子供が見るようなヒーロー番組にも、男のフェチ欲求を刺激する場面が出てくるんですね。私は女性が気を失って倒れている場面に強い刺激を受けてしまいましたが、その人は縛られている場面に強く刺激を受けたのかもしれません。似ているとしても、違っているのはこの部分なんでしょうね。

そしてまた、女性の衣服へのフェチも強いから、本物の女性のそうした姿を見たいという欲求もあるけれど、私もその人も自分で女性に変身して、そんな姿になったときの感覚とか感触を味わってみたいという欲求のほうがが、ずっと強いのではないかと思えるんですね。

これは、最初に書いたように、私のまったく勝手な想像ですが。


では、エリザベス会館で写してもらった、うつぶせ寝姿画像は、こちらのギャラリー2をご覧くださいね。

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