幼稚園ぐらいから小学校のころ・・シンデレラの絵本

家にあったシンデレラの絵本で、魔法使いのおばあさんにシンデレラが着せてもらったドレスが気になってしょうがなかったんですね。ドレスといっても、全体でなく、スカート部分ばかりが気になるのです。そのスカート部分は、レースやフリルの装飾もない、ティアードスカートになっているのでもない、シンプルな、でもフレアーたっぷりのスカートでした。ウエストから広がるスカートのラインを指や鉛筆で何度もなぞっていました。
思えば、私のスカートフェチ、特にフレアースカートが好きなのはこのときから始まっていたのですね。

小学生のころも、学年誌のマンガに登場する女の子のスカートや、学校の教科書に載っているイラストの女の子のスカートがいつも気になっていました。

思春期の目覚めの頃から10代・・ミニスカートの刺激と欲求不満

私が思春期に目覚めたときは、ちょうど昭和40年代のミニスカート大ブームのころだったんですよ。街で見かける女性たちや、テレビに登場する女性たちのミニスカート姿が気になってしょうがない状態になりました。スカートも気になりましたが、やっぱり脚も気になります。スカートフェチほど強くないけど、脚フェチにもこの頃、目覚めたのでした。

ところがなんと、私が目覚めのときを迎えてからわずか2年ぐらいで、この時代のミニスカートブームが突然、終わってしまったのです。昭和49年(西暦だと1974年ですが)の秋物から、女性のスカート丈が一斉に膝下の長さになってしまいました。今からだと信じられないぐらいの劇的な変化でした。その年の夏までは、若い女性のスカートといえば、ほとんどミニだったのに。

思春期の欲求がどんどん高まっていくときに、そんな変化が起きたので、まるで、おいしそうな餌を出されて食いつこうとしたら、引っ込められてしまった犬のような気持ちと言ってもいいでしょうね。私と同じ年代の男子の多くが、その当時、おいしい餌を引っ込められて欲求不満になった犬のような心理ではなかったかと思うのですよ。


それと、思春期の多くの男の子は女性の下着姿やヌードに気持ちが惹かれていきますが、私は関心が湧いてきませんでした。それよりも、女性のスカート姿や、そしてそのスカート自体が気になってばかりいました。気持ちが惹かれた女性のファッションを思い出してみると、当時はそんな言葉は聞かなかったですが、今でいうフェミニン系のファッションでしたね。

大学生のとき・・・テニスウェアと女性誌

大学へ進学して親元を離れました。ということは、女装しようと思えば好きなだけできることになりますね。でも、大学生のときの女装は、テニスウェアの”着るだけ”女装でした。いや、当時はそれを女装だと意識していませんでした。単に、テニスのスコート(テニスウェアではなぜかスカートと呼ばす、スコートなんですね)をはいてみるだけだと。

テニスのスコートは超ミニのスカートです。ふつうの婦人服のスカートではなく、テニスのスコートをはいてみたいと思ったのは、自分が思春期に入った最初のほうで、世の女性たちからミニスカートが消えたことへの欲求不満がずっとあったからだと思うんですね。それに、その頃は、男がスーパーやデパートの婦人服売り場で、女性の服を買うなんてことが、自分でもとても考えられなかったからというのもありました。

学生の身分で使えるお金がいくらでもあるわけではないですから、テニスウェアはスーパーやデパートのスポーツ用品のセールやバーゲンで買っていました。その時代、世の中、テニスブームでスポーツ用品売り場には必ずテニスウェアが売っていましたから。

一度、デパートのスポーツバーゲンでテニスのワンピースを買おうとしたら、レジの女性店員に、
「本当にこれでいいのですか?」
と聞かれたんですよ。男がどうしてそんなもの買うのか、不思議に思ったのでしょう。考えてみれば、まじめな女性店員さんです。こちらも、それが欲しいから、
「ええ、これでいいです。」
と言って、買ってしまいました。

でも、そんなふうに聞かれたりするのもいやなので、そのことがあってからは、スコートを買うときは男のテニスパンツと一緒に、つまり自分のと彼女(なんていないのに)のをペアで買うのだと思われるようにして、買ったりしていました。ワンピースを買うときは、「彼女にプレゼントなんだけど、自分と同じぐらい大柄な子で。」とか店員さんに言ったりして、自分で着られるようなLサイズを買ったりもしてたんですね。


テニスウェアだけでなく、親元にいてはなかなか買えないものも買うようになりましたね。それは女性誌です。男性誌に載ってるセクシー写真やヌード写真には全然、興味が湧かないのに、女性誌・・それもファッション雑誌に載っている女性たちの写真には強い興味を感じていたんですね。最初に買ったのは、「JJ」とか「CanCam」でしたね。こうした雑誌が載せるファッションの傾向も、時代とともに変わっていきますが、当時は清楚で上品なお嬢さんのファッション、まさに今で言うフェミニン系のファッションが中心でした。そうした服を着たモデルさんたちの写真を見ながら、1人Hをしていました。


そうやってある程度の数の、テニスウェアのコレクションや、女性誌のコレクションもできたのですが、就職が決まって独身寮に入ることになり、どれぐらいプライバシーが確保できるかも分からなかったので、残念だったですが、卒業直前にみんな処分してしまいました。

就職してから30歳過ぎまで・・・買っては処分し、の繰り返し

就職して独身寮に入ってみると、以外やプライバシーは確保できていました。でも、最初の1年ぐらいはおとなしくしていました。だけど、2年目になり給料も上がり、それに残業代が多くなってくるうちに、女性の服に対する欲求がうずきはじめたんですね。

再び、スポーツバーゲンでテニスウェアも買いましたけど、それだけではなく、スーパーの婦人服売り場でブラウスやスカートを初めて買いました。スーパーで売っている服は、見るとけっこう安めでした。そして、スーパーの店員さん、レジ係はだいたい女性の店員さんたちですが、きちんと教育されているのか、男が女性の服を買っても、「本当にこれでよろしいんですか?」などとは聞かず、ちゃんとお会計をしてくれました。

こうして、テニスウェアのようなスポーツウェアではなく、ようやく、ふつうの婦人服を着る女装を、初めてやったんですね。だけど、その頃でも、自分の意識では「女装している」というのはなかったですね。単に、女性の服を着てみているだけだと思ってました。「着るだけ女装」なんて呼び方も、まったく知りませんでしたね。

そして、1980年代の後半から1990年代の初めにかけて、膝下丈ぐらいでしたけどフレアースカートの流行がありました。フレアースカートにフェチな欲求が強い自分にはうれしいことでしたね。当然、買ってきて、はいてました。


だけど、まだ若いときですから、女性の服を着てみる一方で、「オレ、こんなことやっていていいんだろうか?」という悩み、自己嫌悪ももずっと抱えていましたね。自分がどうして女性の服−特にスカートが気になって、はいてみたいと思う理由が分からなかったからです。独身寮は会社の規定で年齢制限があったので、賃貸のマンションへ移りましたが、30歳をちょっと過ぎる頃まで、長いときで2年あまり、短いときでは半年ぐらいで、買った女性の服をみんな処分してしまうというのを、計3回繰り返したのですよ。

自己嫌悪をずっと抱えていたから、ストレスがたまってきたんでしょうね。30歳をちょっと過ぎた頃には、女性の服を買ってきて、家で着てみたら、すごく疲れた気持ちになってしまったんですね。それで、「もう潮時だ。」と感じ、買ったものもすべて処分して、女性の服を着る行為から足を洗うことにしたのでした。

30代半ばから後半・・・ミニスカートブーム、通販、インターネット、女装サロン

一旦、足を洗って3年ぐらいは女装から離れていたんですが、次第にストレス疲れも回復してきたのか、またまた女性の服を着てみたいという欲求が出てきたんですね。大きな原因は、1990年代のミニスカートの流行だったんですよ。1980年代終わり頃から、女性のスカート丈が短くなり始め、1990年代中頃には、かつての昭和の40年代を思わせるぐらいにミニスカートがブームになってきました。スカートだけでなく、ミニ丈のワンピースもまた流行していましたね。

すると、自分の思春期の入口でミニスカートが消えてしまったという欲求不満が刺激されたのでしょう。再び女性の服、特にミニスカートやミニ丈のワンピースを買って、着るようになりました。大学生のときにテニスのスコートやワンピースを着ただけでは、思春期以来の欲求不満は解消されていなかったんでしょうね。

この時期は女性の服を買うのに、それまでやったことのない買い方をするようになりました。本屋で通販カタログを見かけ、見ると自分の好みの服が載っていて、サイズの大きいのもあるんですね。それで、初めて通販で買うというのをやりました。

その頃は、インターネットが急速に普及していった時期ですが、それでも普及が始まってまだ2,3年の頃です。ネットショッピングはまだまだでした。それで、カタログに付いているはがきを送って買っていましたね。


女装サロンの存在を知ったのもこの頃です。最初は、居酒屋か床屋に置いてあったスポーツ紙か夕刊紙に、大阪のほうにある女装サロンのことが紹介されているのを読んだんですね。女装バー(あるいは世間から、おかまバーと言われる)のような水商売ではなく、単に女性の服を着て、メークしてくれる場所だというのです。その記事読んで、東京のほうにもこんなところがあったら、行ってみたいと思いましたね。

インターネットはどんどんに広まり、1990年代後半になると、女装の情報も多く見つかるようになってきました。そして、東京の亀戸にエリザベス会館という女装サロンがあることを、ようやく知りました。また、エリザベス会館のホームページも作られていて、それを見てどんな女装サロンか知ることもできました。

最初は、やはり迷いましたが、あるとき思い切ってエリザベス会館へ行ってみました。単に着るだけの女装ではなく、メークしてウィッグ(かつら)を被る本格女装の初体験でした。

高坂 舞という女装名は、このとき、いや、そのちょっと前に、(エリザベス会館とは別のところが出していた)女装雑誌に投稿したことがあって、そのときに自分で考えて付けたものでしたね。エリザベス会館でも、高坂 舞でいくことにしました。

エリザベス会館は、そのあと1年間ぐらいの間に、10回程度通いました。その一方で、自分でもウィッグや化粧品を買い、家でもメークをしてウィッグを被る女装に何回かトライしました。でも、全部で10回やったか、やらないかぐらいで、それぐらいの回数ではメークもなかなか上達しません。

そのくせして、たしか4回ぐらいですが、女装して家からそれほど遠くない距離の外出もやってみたりしたんですよ。まだ30代の頃で若かったから、そういう大胆なこともできたんでしょうね。

いずれも休日で、最初は昼間、しばらく歩いてみただけ。うつむき加減に歩いていたので、果たしてばれていたかどうかは分かりません。

2回目は日が陰ってから。途中ですれ違ったおばさんが、いぶかしげに見ていたのは覚えています。

3回目は、交差点で信号待ちのとき、反対側の車のドライバーがおかしそうに笑っているのが一瞬、見えました。駅近くの商店街へ入っていくと、子供連れのお父さんが私とすれ違った一瞬、目を皿のようにしました。やっぱり、ばれるんですね。

そして、最後の1回は、日が陰ってから、ノースリーブのミニワンピース(1990年代に大流行したタイプのものです)を着て、しばらく歩いたのですが、向こうの方に停まった車から夫婦が降りてきて、私のほうをじっと見ているのです。なんか変なやつが来ると思っていたんでしょうね。男がノースリーブを着ると、どうしても肩が目立ってしまうのでしょうけど、やっぱりばれるのですね。そして、これを最後に外出はやめました。

この時代に自分が買ったのはワンピースもスカートもほとんどミニ。外出したときもミニ。脚で感じる風が心地よかったことだけは今でも覚えています。


インターネットの普及で、女装に関していろんな情報を得ることができるようになりました。
「フェティシズム性服装倒錯」
という言葉を知ったのもこの頃です。

「倒錯」という言葉は好きにはなれないですけど、「フェティシズム性服装倒錯」で言われる症状が自分に当てはまるんですね。自分が女性の服を着たくなるのは、同性愛の欲求のためでもなく、性同一性障害のためでもなく、女性の服へのフェティシズム−つまりはフェチによるものだと、やっと分かったんですね。「フェチ」という言葉はそれまでにも知ってはいましたが、女性の服へのフェチで女装というのとは、全然、結びつかなかったんですね。

こうして、自分が女装したくなる理由が分かると、気持ちは楽になりました。もう中年の年齢になっていましたから、若い頃みたいな自己嫌悪をそれほど感じなくなっていたこともありましたね。原因がフェチだと分かったことで、悩むこともなくなったし、世の中に女装をする人が多くいることも分かって、今後も女装を続けられると思ったんですね。


エリザベス会館のほうは、そのころは休日しか行けなかったですが、ほとんど土曜日に行っていました。やはり、休日は賑わいます。最初だから、その場の雰囲気に溶け込まないといけないと考えていたんですね。けっこう、わいわいがやがや、おしゃべりしている人も多くて、自分もその中に入ろうとしていました。実は、私、おしゃべりとかは得意ではないんですよ。むしろ苦手なほうに入ります。一時は、夕方からサロンの自販機で缶ビールを買って飲み、遅めの時間までいたりもして、雰囲気に溶け込もうとしていました。

でも、自分の性に合わないことを無理してやったためか、次第に疲れていったんですね。それで、仕事のほうも、休日にも出なければいけないぐらい忙しくなりそうになってきたので、エリザベス会館へ来るのはしばらく中断しようということにしました。その中断が、15年にもなるとは、そのときには思いませんでしたけれど。

思い出してみると、当時、土日の賑わっているエリザベス会館でも、わいわいがやがやの輪に入らず、ソファや椅子に腰を下ろして、ゆっくりと過ごしている人もいましたね。その人も、実はおしゃべりが苦手だったのかもしれません。私から見ると、そうした人は、女性になりきる時間を楽しんでいるようで、とても優雅に思えましたね。私もそんなふうにすればよかったのかもしれませんが、新人のうちは、なかなかそういうことはできないものです。

いずれにしても、私のエリザベス会館通い第一期は、1年程度で終わりました。

40代・・・長いブランクに入る

仕事の忙しいのが一段落したら、再び家でも女装をやり、エリザベス会館にも行こうと思っていたんですね。ところが、仕事の忙しさが想像以上に激烈でした。その中で、心身に大きなダメージを受けてしまったんですね。心身の「身」よりも「心」、つまりメンタルのほうをより強く病んでしまったのです。おかげで、仕事も長期間、休まなくてはいけないことになりました。クビにならなかったのは幸いですが、まったく、人生、何が起こるか分かりませんね。

仕事を休めても、メンタルを病んでいるわけですから、女装をやる気にはまったくなりませんでしたね。それに、ずっと独り者なので、家に女性の服や女装用品を置くこともできていたのですが、人の世話にならなくてはいけないことになってきて、ばれないように、すべて処分せざるを得ませんでした。処分だけは、なんとか気力を振り絞ってやったのです。

そして、私の女装は長いブランクに入っていったのです。

40代半ば・・・少しだけ復活

症状が回復し、仕事にも復帰しましたが、やっぱり女装をしたいという気持ちにはなりませんでしたね。

でも、女性の服へのフェチな欲求が消えることはありませんでした。女性誌や、「RyuRyu」などの通販カタログを買って、好きな感じの服を着た女性の写真を見ながら1人Hをやることはできたんですね。それだけやれば、自分の性的な欲求は十分に満たせてましたね。でも、それ以上のこと、つまり、買って着てみたいいう欲求は出てきませんでした。

そんな中、2003年の冬ぐらいですが、一時、ミニスカートが流行しました。その冬は、ミニスカート+ロングブーツというファッションが女性の間で流行ったんですね。それが、私のミニスカートへの欲求を刺激したのか、久しぶりにスーパーでミニスカートを何着かと、トップスのニットを買って、着てみたんですね。でも、下着は男のアンダーのまま、メークもなし、ウィッグも被らず、つまりは「着るだけ女装」でしたね。脚も剃らず、80デニールの黒い分厚いタイツをはいていました。

その流れで、2004年の夏物でも何着かスカートにニットやシャツを買って、着るだけ女装をしました。夏ですから、分厚いタイツというわけにはいかず、ストッキングをはいたんですが、脚を剃るのに女性用のボディシェーバーを初めて使いました。確かこの頃に売り出され、テレビCMでボディソープなしでも剃れることを宣伝していた、3枚刃か4枚刃の周りに石けんが着いているタイプのでした。ちなみに、30代後半のころは、「きれいなおねえさんは、好きですか。」のCMの電動シェーバーを買って使っていました。

でも、2004年の夏物をひととおり着て、着心地を確かめたら、もう女性の服を買って着たいという欲求が失せてしまいました。メンタルを病むと回復に時間がかかるといいますが、メンタルなパワーが尽きてしまった感じでした。逆にそれで、女装には、思った以上にメンタルなパワーが必要だというのが分かったんですね。

そして、再び長いブランクに入ったんですね。ブランクの間、女性誌や通販カタログ、そして、どんどん広がってきたインターネットの通販サイトなどのモデルさんの写真をを見て、
「こんな服、来てみたいなぁ...」
と思ったり、1人Hしたりはしていましたが、実際に買ってみる気にはなりませんでした。2003年冬から2004年夏にかけて、ちょっと着るだけ女装をしたら、すぐにパワーが尽きてしまったことが、トラウマになったのかも知れないですね。

50代前半・・・やっと本格的に復活

やがて時間が経ち、通販カタログや通販サイトを見ているうちに、女性の服を買って着てみたいという欲求はしだいに強くなっていきましたね。卒業式・入学式の時期にスーパーの婦人ものフロアに、ママさん向けのセルブレイトスーツが並ぶと、そういう感じの服も好きなので、買いたいなという気持ちを強く感じるようにもなってきました。メンタルなダメージもゆっくりと回復してきたのでしょう。でも、思い切って買う気持ちには、なかなかなりませんでしたね。

そうするうちに、私も五十路を迎えました。五十路に入り、1年、2年と経つうち、ますます女装願望は強くなってきて、ついに2013年の夏、通販で女性の服や化粧品、ウィッグをまとめて買い、着るだけでない、本格女装を再開したんですよ。
「もうあとは、好きなことをやろう!」
という気持ちになってきて、踏ん切りが付いたこともありましたね。

こんなことを言うと、
「もしかしたら、不治の病で余命何年とか、なんですか?」
と誤解を招きそうですね。

はっきり言っておきますが、不治の病なんてものにはなっていません。

でも、不治の病でなくても、50代になると「好きなことをやろう」という気持ちは出てくるものですよ。会社生活も40代になれば先が見えてきますしね。私は、1人でこつこつと仕事に取り組む職人型の人間なんですよ。少人数でも人を引っ張っていったり、指揮したりするのはホント、苦手です。でも、会社はリーダーの仕事に挑戦させるし、自分もどこまでできるか、若い時は挑戦しようと思っていました。そうやって、会社を引っ張っていける、つまりは経営層になれる人材を選別していくわけですが、私はその路線からは完全にドロップアウトしてしまいましたね。心身を病んだときの激烈な仕事でも、リーダーシップを取ることを求められていましたけど、うまくできず、その結果、破綻してしまったのですね。

今はもう年功序列の時代じゃないし、だから役職も上がらず、給料も上がらずです。ずっと独り者ですから、生活が苦しくはないのは、さいわいです。そして、50代に入ると定年までの年数が1桁の数字となるわけですが、この事実を突きつけられるのは、大きいですよ。

先はとっくに見えていて、残り年数も1桁を意識したら、じゃあ、やりたいことをやろうという気持ちが出てきましたね。それに、徐々に老化も進んでいくわけですから、やるならまだ少しでも若さが多く残っているうちがいいと。

それに、若い頃に「オレ、こんなことやっていていいんだろうか?」と自己嫌悪も感じていたことも、気楽にやろうという気持ちになってきたんですよ。単に、自分の女装願望が女性の服へのフェチだとわかったからというだけではないですね。なんて言うんですかね。これも歳を取っての変化というか。

確かに、50代ぐらいになると、ルールとか作法とか振る舞いとか、若い頃からの習慣とかには頑固になってくるところもあります。その一方で、若い頃に自己嫌悪を感じるぐらい悩んだことには、寛容になってくるんですね。それは、むしろ、
「枯れてきた」
からと言っていいのではないかと、思えるんですね。


女装を再開してみると、十数年前とはいろんな状況が変わってましたね。女性の服も、女装用品もネットで安く買える物が多くなっていました。女装専門のショップがネット上にあって、入門用の化粧品セットも売っていたので、街のドラッグストアで買わなくてもよくなっていました。ウィッグも安くて、それでいてけっこう質のいいファッションウィッグがいろいろと見つかりましたね。

そして、15年のブランクを経て、亀戸から同じ総武線で3駅都心側の浅草橋に移転していた、エリザベス会館へも行きました。実は、私のもう一つのフェチ・・女装してのフェチ写真を撮ってもらいたくて行ってみたのですが、話をして頼んでみたら、撮ってもらえたので、再び、エリザベス会館へ通うようになったのですよ。

女装名は、前に使っていた、高坂 舞を再び使うようにしました。このときが、高坂 舞が復活したときでしたね。


50代となると身体にも徐々にガタが出てきます。10数年前に心身を病んだ影響も残っていて、というか一度、病気をするとどうしてもそれが弱い部分になってしまうわけで、定期的に病院通いをしているんですね。責任の重い役職じゃないので、病院が午前中で終わるぐらいでも、休みは1日取ることができますね。なので、病院が終わったあとは、かつては土曜日にしか行けなかったエリザベス会館に平日の空いている時間に行くことができるようになりました。空いていると、まるで、広い自室でまったりと過ごす感覚で、のんびりといられるんですよ。土曜日に行くこともありますが、早めに行って、あまり混まないうちに早めに帰るようにしてますね。前に行っていたときのように、無理にわいわいがやがやの雰囲気に合わせようとせず、自分のペースで女装して過ごすことを楽しむようにしています。

プロフィールのところにも書きましたが、家でもエリザベス会館でも、女性の服を身にまとっている感覚を楽しみながら、甘いお菓子を食べるとか、女性誌を読むとか、女の子がやっていそうなことをしているうちに、「女の子ごっこしよう。」という言葉が自然に頭に浮かんで来たんですよ。考えてみれば、おしゃべりも女の子が好きなことですが、そこにはなかなか馴染めません。やはり、こつこつ自分の仕事に集中してやる寡黙な職人型の人間だからでしょうか(だから、WEBサイトを作ったりするのには向いているんですね)。なので、おしゃべり以外の、なんとなく女の子っぽいことをするのが私の「女の子ごっこ」です。

ここしばらくは、この「女の子ごっこ」を焦らず、気張らず、のんびりとやっていくつもりです。

復活して1年余り後、女装でお出かけ開始

本格復活して最初のうちは、セルフメークも下手で自撮りした写真もあまり見たくないようなものでしたが、やがて上達してきました。

特に、
・リキッドタイプのアイライナー
・涙袋メークパウダー
・口のまわりのひげの部分にオレンジ系のチークを塗る
の3つが大きかったです。(私の女装ツールのこちらをご参照)

鏡で見ても、自然に女性に見えるかなと思えるようになってきました。すると、女装して家の外の風に当たってみたいという欲求が強くなってきました。30代の頃に女装で家の近くを歩いてみたけど、変な目で見られたりしてそれが一種のトラウマになっていましたから、最初は夕方ぐらいに恐る恐る家の近くだけを歩く程度の外出でした。そうすると、今度は変な目で見られたりはしません。徐々に歩く範囲を広げ、そしてついに電車で隣の駅まで行ってみるというのもやりました。

電車に乗るのも2つ先の駅まで、3つ先の駅までと徐々に距離を伸ばし、2014年の秋、ついに銀座への本格お出かけをやりました(ギャラリー1のNo.54)。そのあとはどんどん寒くなってくるのに、コートを持っていなかったので2014年はこの1回だけでしたが、2015年の年明けにコートを買い、2回目は浅草へ行って(ギャラリー1のNo.63)、以後、いろんなところへお出かけするようになりました。

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